たくさんの本と、旅と、人との出会いが自分の人生を素晴らしいものへと導いてくれる。
そう教えてくれたのは、大人気漫画『テルマエ・ロマエ』の作者ヤマザキマリさんの『国境のない生き方』という本でした。
『国境のない生き方』は、ヤマザキマリさんが14歳でヨーロッパ一人旅行、17歳でイタリア留学を経験し、国籍や文化、言語の壁を超えて世界を旅し、さまざまな経験を通して得た気づきや考え方を綴ったエッセイ集です。
この本を読み、ヤマザキマリさんがこれまで膨大な量の読書をされてきたこと、深い教養をお持ちであること、テルマエ・ロマエを描かれた理由などがよくわかりました。
本当の意味での多様性とは、教養とは、自由とは、平和とは…
『国境のない生き方』はそれらを考える重要なインスピレーションを与えてくれる大好きな本で、もう何度も何度も読み返しています。
この記事ではヤマザキマリさんの『国境のない生き方』の魅力を、私の感想を交えながらお伝えします。
人生を変えた14歳でのヨーロッパ一人旅
この本を読んでまず興味を引かれたのが、ヤマザキマリさんが14歳の時に、急に行けなくなった母の代わりにフランス、ドイツ、ベルギーへ一人で旅する場面です。
現地に着いたはいいものの、極寒のパリで、オーバーブッキングを理由に滞在予定だったホテルを追い出されます。 今思っても、よく無事に帰ってこられたなと思います。 一体、自分はこんなところで何をしているのだろう。 もう本当にだめなんじゃないか、このまま野たれ死にするんじゃないかと思った時、ふいに「頼れるのはじぶんしかいない」という気持ちが湧いてきました。(中略) 「頼むよ、自分」「頼むよ、もう、お前しかいないんだ」 自分で自分に声がけしたあの時、私には「自分を支えるもうひとりの自分」という運命共同体ができたのです。 頼れるのは自分だけ 本当の意味での自立
(中略)
たった14歳の女の子が一人異国の地で、「どうするの、これ?」と途方に暮れた時、もう一人の自分が語りかけてきます。
「頼むよ、もう、お前しかいないんだ」
その時はたまたま近くに空いているホテルがあって14歳のヤマザキさん難を逃れましたが、この体験が「自分の足で立つ」ということを彼女に教えてくれました。
自分の一番の味方は自分でなければならない、という言葉をよく聞きますが、まさしくこの場面で私はその本当の意味を考えさせられました。
窮地に追いやられたときに、自分の頭で一生懸命思考を巡らせてみると、自分を本当の意味で救ってくれるような頼りがいのあるもう一人の自分を発見し、それが自信になっていく。
このエピソードは、私自身が初めて一人でイギリスへ留学した時の体験と重なりました。
14歳の彼女よりもずっと年齢でしたが、トラブルに巻き込まれたり怖い思いをしたときに、自分の思考が、行動が、自分を救ってくれるのです。
自分の力を頼りにして、一歩踏み出すこと。
自立ってこういう感覚なんだ、と目が覚めるような思いがしたのを覚えています。
人生を左右する運命的な出会い
14歳での欧州一人旅では、ヤマザキマリさんの将来を左右するような運命的な出会いがありました。 一人旅の終盤、ブリュッセルでパリ行きの列車を待っていると、彼女を家出少女だと勘違いしたキャメルコートを着たおじさんが話しかけてきます。 初めての一人旅も終盤、ブリュッセルの駅でパリ行きの列車を待っていた私は、自分がへんな人につけ回されていることに気づきました。キャメルのコートを着たその老人は、私がどこへ移動しようと必ず近くにいて、物陰からこっちを見ています。 何だろう、あの人……。怖くなった私が逃げるように列車に乗り込むと、なんと、私のコンパートメントまで追いかけてきました。 「ちょっと待った、お嬢さん」 「ひー!」 それがイタリア人の陶芸家マルコじいさんとの出会いでした。 「どう見たって子どもなのに、こんなところでひとりで何してるんだ。イタリアでは、片言の言葉しかしゃべれない子どもを一人旅に出すなんて考えられない。お前の親はどうかしている!」
そう説教してくるおじさんに、ヤマザキマリさんは絵が好きで、ヨーロッパの素晴らしい絵画を見たいのだと言いました。
するとおじさんは怒ってこう言います。
「だったらどうしてイタリアに行かないんだ⁉帰ったら、お前のお母さんにここに手紙を寄こすように言え!絵の勉強がしたいなら、いつか私の家に来なさい」
日本に帰国後、このマルコじいさんは時々手紙をくれるようになります。
そうしてヤマザキマリさんは17歳になると、単身でイタリアに渡り、フィレンツェでアカデミア(美術学校)に入学し、「ガリレア・ウプパ」という文壇サロンにも参加するようになります。 そこでヤマザキマリさんを待ち受けていたのは、あてどない荒野でした。
本当の意味での教養とは
ヤマザキマリさんが通っていた文壇サロン「ガリレア・ウプパ」には売れない作家や画家たちが集まり、昼夜詩や文学について語り合っていました。
日本人気質で討論が苦手なヤマザキマリさんに、イタリア人は「とにかく何か言えよ。言葉にして言わなければ、何を考えといるかわからないだろ。」と言います。
討論なんて代の苦手だったはずが、私は、いつしか少しずつ彼らに感化されていきました。イタリア人は、ただでさえよくしゃべります。(中略) だんまりというのが一番許せなくて、「とにかく何か言えよ」と。(中略) 「言葉にして言わなければ、何を考えているかわからないだろ。お前自身も、言葉にすることで自分が何を思い、どう考えているのか、いろんなことがわかってくるはずだ」
次第に文壇サロンのメンバー達の言葉の応酬に感化され、ヤマザキマリさん自身も言葉でのアウトプットによる対話を実践で学んでいきます。
このヤマザキマリさんの経験を通して、私は「言わなくてもわかってもらえるなんてあり得ない」のだということ、対話することの大切さに気付かされました。
「私はそうは思わない」ということは、別に相手を否定することじゃない。納得したい、相手のこともきちんと理解したい。対話というものはそこから始まるものでしょう。 結論を出す必要もない。自分ひとりでは思いもよらなかった考えに触れたり、触発されることで、そこから新しい展望が開けていく。 「私はあなたとは違う考えを持っている」と言うことは、決して相手を否定することではない。 対話とは相手を言い負かしたり納得させたりするためではなく、理解するためにするもの。 私自身の人生にとって、とても大事な視点をこの場面から教わりました。 自分の意見を言うことが苦手だったり、自分の意見に対して反対意見を言われたりすると自分を否定されたような気がして傷ついてしまったりする人はきっと多いと思いますが、決してそうではなく、自分が納得し、相手のことも理解したいからこそ対話をするのだという新しい視点を、この本は授けてくれました。 ヤマザキマリさんはイタリアでピエル・パオロ・パリゾーニという映画監督を知ります。 パリゾーニは特異な作風で後世に大きな影響を与えた、映画史における伝説的な存在です。 彼の作品は難解な物も多く、観る人の想像力を強烈に掻き立てます。 対話とは、互いに理解し合うためにするもの
教養は他者との対話の中で深まる
その作品に描かれていないものは何か、バックグラウンドになっているものは何か。
ヤマザキマリさんはパリゾーニ監督の映画を見ては、「ガリレア・ウプパ」の仲間たちとああでもない、こうでもないと熱く語り合いました。
知識があるだけではだめで、そこから縦横に発想を広げていける力が本物の教養なのだとヤマザキマリさんは述べます。
教養というのは、自分を飾るためにあるのではなく、現実と向き合って生きていくための力であり道具なのだとこのシーンから教えられました。
教養を深めるには一人の力だけではなく、人との対話からインプットし、アウトプットすることが必要なのです。
皆と違う意見を持っていてもいい。
それを言語化し他者と交換し合うことで、寛容性が養われていくのだと思います。
教養が持つ力
人間は社会的な動物だから、どんなに人見知りであろうとどれだけコミュニケーションが苦手であろうと、他者と交わり協働して生きていくことからは逃れられません。
自分の生きたい生き方を他者に理解してもらうこと、そして他者の生き方を尊重することには教養が必要なのだと思います。
だからこそ、もっともっと教養が欲しい、という強い思いを、『国境のない生き方』が掻き立ててくれました。
ヤマザキマリさんはイタリアに留学してから、ジュゼッペという詩人の男性と同棲し、極貧生活にあえぐことになります。 失敗すれば経験値とボキャブラリーが増える
経済的な不安に、恋人との口論、自暴自棄になり堕落していく恋人…
もういなくなってしまいたいほどの辛い日々。
ヤマザキマリさんが息子のデルス君を身ごもったのはそんなときでした。
妊娠が分かると、子どもを産み育てるため生活を立て直すべく、10年も一緒にいたジュゼッペと別れ、日本の漫画雑誌の新人漫画賞に応募し、努力賞に選ばれ、そのお金でイタリアから日本への航空チケットを買いました。
これが漫画家デビューのきっかけでした。
だから失敗はダメージではなく経験なのだとヤマザキマリさんはいいます。
失敗をすれば、経験値とボキャブラリーが増えます。
一見失敗のように思えることでも、後からその経験が生きてくることがある。
自分に経験値がないからと言ってインターネットやメディアの情報に依存していては、本物の生きる力は身につかない。
生きていたら、自分はなんて愚かなんだろうと責めてしまうこともあると思います。
でも後から振り返った時に、失敗を「いい経験をしてよかった」という思いに昇華していくことが、自分の心を大切に守りながら生きる上で大事なことなのだと思いました。
テルマエ・ロマエからから考える人間の本質
『テルマエ・ロマエ』は、浴場専門の設計技師ルシウスが、現代日本の銭湯にタイムスリップしてしまうというコメディ漫画です。
ヤマザキマリさんが『テルマエ・ロマエ』を思いついたのは、ポルトガルに住んでいるときでした。
そこは築80年のとても古アパートで、浴槽がなく、「お湯に浸かりたい」という切実な思いから、『テルマエ・ロマエ』が生まれました。 ローマ時代というと、コロッセオで行われる猛獣同士の戦いや剣士同士の戦いなどの見世物、過酷な奴隷制度…などなど残酷なイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか。 しかし、ローマの人々は残酷な催し物に熱狂するような人々ばかりではありません。 博物学者であり政治家のガイウス・プリニウス・セクンドゥスは、書簡で「どうもあれは好きになれない」「殺し合いは見たくない」と書いているのです。 (前略)これまでは、古代ローマと言えば、(中略)人間のもつ野蛮性ばかりが強調されて語られてきた。私は、それが疑問で、『テルマエ・ロマエ』を書いたんです。あの漫画は、そのことに対するアンチテーゼでもある。「それだけじゃないから、ローマは」って言いたかったんです。 古代ローマ人たちというのは、人間の愚かさも残酷さもよく分かったうえでなお、持てる叡智の限りを尽くして生きようとした人たちだったんじゃないか。少なくとも私は、そう確信しているし、人間のそういう可能性を描きたいと思っています。 ヤマザキマリさんが『テルマエ・ロマエ』で描きたかったのは、人間が元来持っているの文化的な心や善性でした。 実際に『テルマエ・ロマエ』を見てみると、人間にはもともと、文化を楽しむ心、他者を愛する心、倫理観というものが備わっているのではないかという可能性を感じさせてくれます。 主人公の古代ローマ人のルシウスが現代の日本のお風呂にタイムスリップしてきて、言葉もわからいのに入浴客のおじさん達とコミュニケーションをとりながら日本のお風呂文化や食べ物のおいしさ、おもてなしの心に触れて感動し、この国の文化と人々を愛していく。 水道インフラやお風呂、建築、法律など、古代ローマの偉大な技術や文化の影響を受けているものが日本や世界中にたくさん存在します。 私は、古代ローマの人々がもし実際に現代の日本の伝統や文化、美味しい食べ物やおもてなしの心を知ったとしたら、ルシウスと同じように大いに感動するのではないかと思いますし、また、同じお風呂を愛する心をもった民族として互いを理解し合えるのではないかという気がしてならないのです。世界の壮大さ、多様さを感じさせてくれる1冊
『国境のない生き方』は、ヤマザキマリさんの生き方や考え方を深く知ることができる大変興味深い一冊でした。
ヤマザキマリさんの生い立ちやイタリア留学経験、さらには作家としての成功までを通じて、多くの気づきや教訓を得ることができました。
自立や対話の重要性、失敗や困難から学ぶ姿勢、そして教養の真の意味については、自分の中の概念が新しく構築し直されていくような感覚でした。
そして何よりも、この本は世界の壮大さ、多様さを感じさせてくれ、胸が熱くなりました。
たくさんの本と、旅と、人との出会いが自分の人生を素晴らしいものへと導いてくれる。
『国境のない生き方』を読んで皆さんにもそう感じていただけたら幸いです。